束の間の出来事

考えたことを忘れないようにするためのもの。

日記を見るということ

 

 日記、というものが好きだ。とりわけ自分が話したことのある人の日記が好きだ。けれど誰が書いたか分からない日記というのも惹かれる。フリーゲームとかで、見知らぬ人の日記を手がかりに物語を進めていく…という感じのシチュエーションがあると本当にわくわくしたものだ。

 

 私が中学生のとき、自分でブログを作るのが流行っていた(Amebaとかフォレストとか)。思えば他人の日記を覗くというのはここが原点なのかもしれない。

 当時部活が同じで仲の良い友達がいて、彼女をMさんとしよう。Mさんはよくブログを更新していて、私はよく覗いてはコメントしていたものだった。正直、他の誰かから見れば他愛もない内容だったと思う。中間考査がどうだったとか、親にゲーセン行き過ぎて怒られたとか、塾で一緒に〇〇ちゃんと帰ったとか。でも、それを見るのがやたらと面白かったことを記憶している。

 

 そういえば大学の同期の人のブログを見た時にも似たようなことを感じた。同じ学科の親しい男友達がたまたまTwitterにブログのリンクを張っていたので見たことがあった。普段会話でしか交流しない彼の文章を見たとき、「おお」と感心させられた。この人は文章だとこういう話し方なのか、とか日々の中でこういうことを考えたりするのか、と。不思議な気持ちだった。

 

 人の書いたを日記見る時、私はその人の考えたことを微かに垣間見る。その人が日々の出来事を反芻し、残したいと思ったことをその人の思うがままに書く。独りで向き合ったその記録を眺め、一体何がこの記録を残すに至らしめたのだろうと思いをはせる。きっと、私はそれが好きなのだろうと思う。

 

 そういえば、日記という訳ではないがこの記事を書いていて「ヒューマンライブラリー」という言葉を思い出した。

 

tabi-labo.com

 

 あらゆる趣味嗜好、個性、背景を持った人々が集まり、1人1回30分ほどその「本」の情報、価値観を生の声を通し「読む」ことが出来るというもの。Twitterか何かでその存在を知ったとき、私は今まで自分が何を求めていたのかを無意識のうちに理解した気がする。私は、人に触れることが好きだと思う。

 

 誰もが皆、ページを開くたびにわくわくさせられるような興味深い「手記」なのだ。